協議会について

組合概要

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名称

米沢繊維協議会

住所

〒992-0039 米沢市門東町1-1-87

TEL・FAX

(0238)23-3525 / (0238)23-7229

設立日

明治25年

企業数

60社 企業一覧はこちら

組合の設立

放任務統制時代

 米沢織は、第9代米沢藩主 上杉鷹山公による殖産産業の奨励と保護政策により発展し、藩の主要産業として確立しました。明治維新を迎え、明治政府が廃藩置県を実行すると社会世相が一変し、織物の需要が増える好景気を迎えました。こうした需要に対応すべく、家内工業から織物工場へと転換する機業家が増えていきました。

明治9年に「金禄公債」が発行されると、米沢藩では公債を売った資金で織機を求めて織物業に従事する士族が多く現れました。彼らは「公債機」(こうさいばた)と呼ばれました。当時、400軒以上いた機業家の8割は士族だったと言われています。

 工業化と機業家の増加で米沢織物の生産は益々盛んになりますが、藩政時代のような取り締まりが行われなくなると、粗製乱造の製品が出回るようになり、市場での信用は一気に失墜してしまいます。鷹山公時代以来、堅実に歴史を重ねてきた米沢織物業界でしたが、ここで低迷期を迎えます。粗悪品の産出と経済界のデフレにより需要が激減し、明治14年には、機業家の大半が倒産する事態となってしまいます。

暗黒時代

設立当初の組合員証 設立当初の組合員証

 しばらくは、米沢織の暗黒時代とも言われる状況が続きますが、明治25年3月に時の米沢市長 大滝瀧蔵の呼びかけによって、ようやく有志者による会合が開かれ、米沢織物の品質向上と信用回復のためには、同業者の団体を組織し一致団結して改善するべしとして、趣意書が一同に示されました。同年10月6日に県の認可を受け、ついに「米沢絹織物業組合」が設立されました。組合員は327名、初代組長には、綱島哲が就任しました。

 業者の規模の違いや各社の利害関係など、複雑な事情もあり、設立までの道のりは険しかったものの、米沢織の品質向上と信用回復のため、検査の強化と染色の改良の2つを主軸とした取り組みがすすめられました。


明治時代の織物組合 明治時代の織物組合

 明治32年7月には、製造、販売、染色の三業者による法人組織として「米沢絹織物同業組合」に改組しました。組合員は636名となり、大規模な組織となっていました。米沢織物は、県内でも地場産業として中心的な役割を担い、組合は中核機関として、その活動に貢献していきます。


建設当時の米織会館(大正時代) 建設当時の米織会館
(大正時代)

 大正4年に米沢物産館を建設、同館内に組合事務所を移しますが、大正6年の米沢大火で焼失してしまいます。その5年後の大正11年に再度建設されたのが、現米織会館として使われている建物です。そして、大正13年に、「絹」の一文字を取り「米沢織物同業組合」に改称しました。翌14年には、当時皇太子であった昭和天皇が、米織会館を訪れています。

戦時統制時代へ

昭和15年頃の織物工場 昭和15年頃の織物工場

 昭和12年の盧溝橋事件を発端に戦争が勃発し戦線が拡大すると、戦時統制の時代に入ります。産業・経済を始めとして、政府はこの年に統制法令を次々に発布しました。太平洋戦争が勃発した昭和16年、行政により山形県内11の織物組合が解散され、産地の統制機関として県内織物業を一本化した「山形県織物工業組合」が発足、置賜支部が米織組合内部に設置されました。また、整理染色は「山形県繊維整染工業組合」、商業部は「山形県織物産地元売株式会社」として組織化され、米沢撚糸組合と鶴岡漁網工業組合は合併して「山形県撚糸工業組合」となり、同じく米織組合内にその事務所がおかれました。


 昭和18年に施行された織物製造業整備要綱では、軍需資材としての織機の供出や、軍需品生産の為の工場転用など転廃業を主とした内容が示され、本格的な企業整備作業が実施されました。統制の強化に伴い、米沢織物業界においても、軍需品の生産が計画されました。県内の残糸や農家の保有糸を原糸とした特需織物や養蚕家の保有糸を原糸とした農賃織物の生産が行われました。

 戦況がますます激化すると、さらに徹底した軍需優先の統制が敷かれました。昭和19年には山形県織物工業組合は、関連機関も含めて「山形県織物統制組合」に改められ、完全な指定生産となりました。

 昭和20年に終戦を迎えますが、米沢産地における織機保有台数は、戦争前にはおよそ7000台程度あったものが、戦時下の企業整備により、戦後には、広幅1200台、小幅1600台ほどになっていました。終戦後もなお指定生産の統制経済にありましたが、全国的に深刻な物不足のなか、各地で開かれた闇市場で手持ち衣料品が物々交換に多く利用され、織物需要が増していきました。購買力が生産量をはるかに上回るような状況下であったため、どのような織物でも飛ぶように売れていきました。こうした社会状況を背景にして織機を供出した工場建物の所有者の復活操業が盛んになります。

 統制的な仕組みも次第に薄れ、昭和22年に鶴岡支部は分離独立し、それ以外の産地の組合員による「山形県織物工業協同組合」として改められました。

戦後復興期

 昭和22年に発足した「山形県織物工業協同組合」は、昭和25年の法改正によって自然解散し、その後、製造、商業、染色業各社の有志による「米沢織物同業会」が任意団体として発足しました。しかし、繊維製品の統制解除や織物消費税の廃止により支離滅裂になってしまった業者の団結は何の指導的役割も持たない同業会ではどうすることも出来ませんでした。この状況に時の米沢市長が業者の団結を強く訴え、昭和27年6月に全業者加入の「米沢織物同業組合」が設立されました。製品検査の励行、事業改革、宣伝強化など、本格的な組合活動を展開していきます。これと並行して、主力製品の業者が結束し、相次いで種部会を設立していきます。技術・品質の開発研究などの活動が盛んとなり、組合組織運営の推進的存在となります。

 昭和28年5月には中小企業等協同組合法に基づき、「米沢織物同業協同組合」へ改組、販売機構を強化した組織となりました。戦時中に中断していた鷹山公祠堂(組合境内)の祭礼が復活したものこの頃でした。現在も4月に祭礼を執行しています。

 戦後、めざましい復興を遂げた繊維産業でしたが、全国的に生産過剰となるに至り、中小企業安定法や繊維工業設備臨時措置法による生産数量の抑制策が施行されました。中小企業安定法の改定に伴い、昭和29年に「輸出向人絹織物調整組合」、翌30年に「内地向絹人絹織物調整組合」が設立されました。この2つの組合はさらに翌年の31年に合併し、「米沢絹人絹織物調整組合」となりました。

 業界の振興のため、組合を中心に様々な対策が講じられます。今も続く米沢産地の一大年中行事「米織まつり」も振興対策のひとつとして、昭和30年に創始されました。昭和31年には各業種別の青年会が結成され、各々の趣旨目的を掲げて親組合事業推進の為に協力態勢を整えていきます。

「米沢織物協同組合連合会」の発足から現在まで

 組合の強化のため、昭和37年に製造・商業・染色・整理の各部会を単独の組合組織とすることとなり、それぞれ「米沢織物工業協同組合」「米沢織物商業協同組合」「米沢染色協同組合」「米沢整理精練協同組合」が設立されました。さらに「米沢意匠紋紙仕掛協同組合」「山形県撚糸協同組合」を加えた6つの単位協同組合による「米沢織物協同組合連合会」が発足し、“産地は一つなり”をスローガンに団結を図りました。

 親組合の動きに呼応して青年会も連合会結成の気運が高まり、同38年には、連合会に代わる「米沢織物青年連絡協議会」が発足します。全国的に有名な米沢上杉まつりの民踊流しで現在も使われている「米沢新調」「新花笠音頭」は、米沢織物青年連絡協議会が米織のPRのために制作した民謡です。この米織PR民謡制作事業が導火線となり、親組合から2年遅れて同39年、ついに「米沢織物青年連合会」が発足します。

昭和44年建設の米織会館(H18年に売却) 昭和44年建設の米織会館(H18年に売却)

 一致団結して積極的な事業を推進するなか、昭和43年には、産地発展のシンボルであり、拠点となる米織会館が建設されました(現在は移転)。そして、昭和45年には構造改革を図るため「米沢絹人繊織物構造改善工業組合」を設立しますが、構造改善事業の終了に伴い、昭和62年にこれを「米沢織物工業組合」に改称しました。その後、「山形縫製工業協同組合」「米沢原糸商協同組合」が、それぞれ加入し幅広く繊維に携わる単位協同組合を再編して、平成8年に「米沢繊維協同組合連合会」となりました。


 平成18年、組合員数の減少により各単位協同組合が解散、組合運営の拠点であった米織会館の売却を経て、組織的にも運営的にもよりコンパクトな団体の組織改編を求める声が上がり、平成25年に「米沢繊維協議会」に改組し、現在に至ります。米沢繊維協議会は、これからも産地としての団結を大事にしながら、質の高い織物を皆様にお届けいたします。

組合名称の歴史

明治25年10月

米沢絹織物業組合

明治32年7月

米沢絹織物同業組合(同業組合法)

大正13年7月

米沢織物同業組合

昭和16年12月

山形県織物工業組合

昭和19年7月

山形県織物統制組合

昭和22年3月

山形県織物工業協同組合

昭和25年6月

米沢織物同業会

昭和27年6月

米沢織物同業組合

昭和28年5月

米沢織物同業協同組合(協同組合法)

昭和29年9月

輸出向絹人絹織物調整組合

昭和30年1月

内地向絹人絹織物調整組合

昭和31年4月

米沢絹人絹織物調整組合(繊維工業設備臨時措置法)

昭和37年2月

米沢織物工業協同組合

昭和37年4月

米沢織物協同組合連合会

昭和45年5月

米沢絹人繊織物構造改善工業組合

昭和62年11月

米沢織物工業協同組合(米沢織物工業組合)

平成8年9月

米沢繊維協同組合連合会

平成25年4月

米沢繊維協議会